火車|棺を探す車輪の音【日本の妖怪の話】

火車|棺を探す車輪の音【日本の妖怪の話】 妖怪・もののけの話

火車|棺を探す車輪の音

山あいの葬列には、声を立ててはならない場所がありました。そこを通るとき、棺の前を歩く僧だけが、いつもと違う顔をしていたといいます。

晴れていた空に、動かない黒雲が浮かぶ。車の通れない山道で、車輪の音が近づいてくる。棺を担ぐ者たちは、その音が自分たちのすぐ上から降りてくるのを聞きました。

 

火車|棺を探す車輪の音

火車|棺を探す車輪の音

山あいの村では、葬列が瀬戸山の麓を通るとき、誰も声を立ててはならないと言われていた。

理由を尋ねても、年寄りたちは首を振るだけだった。

ただ、棺の前を歩く僧だけは、いつもより深く笠をかぶり、数珠を強く握っていた。

その日、村でひとりの男が亡くなった。

生前、よい噂の少ない男だった。

人の田を荒らしたとか。
困っている者から米を取り立てたとか。
弱い者にひどい言葉を浴びせたとか。

そんな話ばかりが残っていた。

それでも葬式となれば、村人たちは白い布を巻き、黙って棺を担ぐ。

昼前までは、よく晴れていた。

だが、山道に入るころ、空の色が変わった。

瀬戸山の上に、黒い雲がひとつだけ浮かんでいた。

雲は風に流されない。
葬列を見下ろすように、じっと同じ場所にあった。

先頭を歩いていた僧が、足を止めた。

「棺を下ろしてはならん」

低い声だった。

担ぎ手たちは顔を見合わせたが、誰も聞き返さなかった。

山の空気が急に冷え、杉の葉がざわざわと鳴りはじめる。

その音にまじって、別の音が聞こえた。

ぎい、ぎい。

車輪の軋む音だった。

この山道に、車など通れるはずがない。

だが音は、黒雲の奥から降りてくるように、少しずつ近づいてきた。

ぎい、ぎい。

音が近づくたびに、担ぎ手たちの肩にのる棺が、いやに軽くなっていく。

やがて、棺の上の空が赤くにじんだ。

火の粉がひとつ、白い棺布に落ちる。

次の瞬間、突風が吹いた。

担ぎ手たちの手の中で、棺がぐっと軽くなった。

重いはずの棺が、まるで中身だけを呼ばれたように、空へ引かれていく。

女たちの息をのむ音がした。

誰かが叫びそうになったとき、僧が棺の前へ飛び出した。

「声を出すな」

僧はそう言って、数珠を握りしめた。

口の中で唱える声は、風に消されそうなほど小さい。
それなのに、不思議と葬列の者たちにははっきり聞こえた。

黒雲の中で、何かが身をよじった。

火に包まれた車輪。

その上に、獣とも人ともつかない影がいた。

猫のように背を丸め、人のような顔を炎の奥に浮かべている。
長い尾の先だけが、赤く揺れていた。

それは、棺を見下ろしていた。

まるで、そこに入っている者を、とうに自分のものだと知っているかのように。

棺がさらに高く持ち上がる。

担ぎ手のひとりが膝をついた。

けれど、僧は一歩も退かなかった。

「まだ渡さぬ」

その声と同時に、黒雲が裂けるような音を立てた。

赤い光が山道いっぱいに広がり、村人たちは一斉に目を伏せた。

どさり。

棺が道の上へ落ちた。

担ぎ手たちはあわてて駆け寄ったが、僧は棺に触れるなと手で制した。

白い棺布の端が、少しだけ焦げていた。

しばらく、誰も動けなかった。

そのときだった。

棺の中から、こつ、こつ、と音がした。

死んだ男が内側から叩いているようにも聞こえた。

あるいは、外からまだ何かが棺に爪を立てているようにも聞こえた。

村人たちは息を殺した。

僧は棺の前にしゃがみ、静かに経を唱えた。

経の声が山道に沈んでいくにつれ、棺の中の音は小さくなっていった。

こつ。

こつ。

やがて、音は止んだ。

空を見上げると、黒雲は消えていた。

風もない。
山道には、元の昼の光が戻っている。

けれど、その場所だけは違っていた。

棺を落とした道の土に、車輪の跡が一筋、黒く焼きついていた。

葬列はそのあと、誰も口を開かなかった。

ただ棺を担ぎ直し、瀬戸山の麓を抜け、墓地へ向かった。

男はその日のうちに、墓へ納められたという。

ただ、それからも瀬戸山の麓を通る者は、今でも耳を澄ませる。

晴れた昼でも、ふいに車輪の音がすることがあるからだ。

ぎい、ぎい。

ぎい、ぎい。

誰かの棺を探すように。

 

怪異の記録

怪異名:火車

話名:棺を探す車輪の音

舞台:山あいの村、瀬戸山の麓を通る葬列の道

登場するもの:葬列、棺、僧、黒雲、火に包まれた車輪、猫とも人ともつかない影

読了時間:約3分

 

火車とは

火車とは

火車は、葬式や墓場から死者の遺体を奪う妖怪として語られてきた存在です。生前に悪事を重ねた者の葬列に現れる、突然の風雨や黒雲とともに棺をさらう、僧の力によって退けられる、といった形で伝えられることがあります。

もともと「火車」という語には、仏教において罪人を乗せて地獄へ運ぶ火の車という意味があります。民間の伝承では、その火の車のイメージが、葬送の途中に遺体を奪う怪異として語られるようになったと考えられます。

火車の姿は一つに定まりません。鬼や地獄の使いのように語られることもあれば、年を経た猫や猫又のような妖怪として説明されることもあります。各地の話では、突然の黒雲、強い風、雷、火の気配、棺を奪おうとする動きなどが印象的に描かれます。

 

この話の怖さ

この怪談の怖さは、死者を送るはずの葬列が、まだ何かに見張られているところにあります。村人たちは男を墓地へ運んでいるつもりですが、黒雲の奥にいるものは、すでにその棺を自分のものとして待っているように見えます。

車の通れない山道で聞こえる車輪の音、棺が軽くなっていく感覚、白い布に落ちる火の粉。大きな恐怖を直接描くのではなく、葬列の静けさを少しずつ崩していくことで、逃げ場のない不安が残ります。

 

この話が残すもの

僧の経によって棺は守られますが、火車が完全に消えたとは言い切れません。山道に焼きついた車輪の跡と、晴れた昼にも聞こえる軋み音だけが、まだ何かが棺を探していることを示しています。

死者は無事に葬られたのか。それとも、火車は別の棺を待つようになっただけなのか。葬列が去ったあとの山道には、その答えを語る者はいません。

 

よくある質問

火車について教えて?

火車は、葬式や墓場から死者の遺体を奪う妖怪として語られる存在です。仏教語としては罪人を地獄へ運ぶ火の車を指すことがあり、民間伝承では黒雲や風雨とともに葬列へ現れる怪異として描かれることがあります。今回の怪談では、山道の葬列を狙う火の車輪として登場します。

火車は危険ですか?

伝承上の火車は、死者の遺体を奪う恐ろしい存在として語られることがあります。とくに悪事を重ねた者の葬式に現れるという話もあり、葬送の場に災いをもたらす怪異として扱われます。今回の話でも、棺を空へ引き上げようとする危険な存在として描いています。

火車はどこに現れますか?

火車は、葬式の場、葬列の途中、墓場など、死者を送る場所に現れるものとして語られることがあります。今回の怪談では、山あいの村にある瀬戸山の麓、葬列が通る山道に現れます。

火車にはどんな特徴がありますか?

火車には、棺や遺体を奪う、黒雲や風雨を伴う、火の車や火に包まれた妖怪として現れる、といった特徴が語られます。また、猫や猫又に結びつけられることもあります。今回の話では、火に包まれた車輪と、猫とも人ともつかない影として描いています。

 

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  • 鬼火
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