河童|川底から呼ぶ友だち【日本の妖怪の話】

河童|川底から呼ぶ友だち【日本の妖怪の話】 妖怪・もののけの話

山あいの村を流れる細い川には、子どもたちが近づいてはいけないと言われていた場所がありました。

そこでは、亡くなったはずの友だちの声が聞こえる。名前を呼ばれても、返事をしてはいけない。祖父が残した帳面には、川に覚えられた者たちの記録が静かに残されていました。

 

河童|川底から呼ぶ友だち

祖父の家を片づけていたとき、納戸の奥から古い木箱が出てきた。

中には、黄ばんだ帳面が何冊も入っていた。
表紙には、墨で小さくこう書かれている。

水難記録

祖父の家は、山あいの小さな村にあった。
裏手には細い川が流れていて、昔は夏になると、子どもたちがよく遊んだらしい。

けれど祖父は、生前、その川にだけは近づかなかった。

どれほど暑い日でも。
水が澄んで、底の石まで見えるような日でも。
祖父は川の方を見るだけで、顔をこわばらせた。

子どもの頃、私は一度だけ尋ねたことがある。

「どうして川に行っちゃだめなの?」

祖父は、しばらく黙ったあとで言った。

「名前を呼ばれても、返事をするな」

それ以上は、何も教えてくれなかった。

帳面を開くと、昭和初期からの記録が並んでいた。

日付。
天候。
場所。
行方不明になった者の名前。
発見された場所。

ほとんどは、水難事故の記録だった。

けれど、読み進めるうちに、妙なことに気づいた。

亡くなったのは、子どもばかりだった。

そして、どの記録にも、似たような一文が添えられていた。

失踪前、川の方より友人の声を聞いたという。

別のページには、こうある。

夕刻、亡き友の名を呼び、川辺へ向かう姿を見た者あり。

さらに別の記録には、こう書かれていた。

本人、「もう一度遊ぼうと呼ばれた」と語る。
その友人、三日前に同川にて死亡。

私は、そこで手を止めた。

誰かが川で死ぬ。
数日後、その子と仲のよかった子どもが、死んだはずの友人の声を聞く。
声に誘われて川へ行く。
そして、戻らない。

そんな記録が、何度も続いていた。

不思議なことに、帳面には一度も「河童」という言葉が出てこなかった。

代わりに、別の呼び名が使われていた。

水の子。
川の向こうの子。
返事を待つもの。
底で名前を覚えるもの。

その中でも、何度も出てくる言葉があった。

名を取るもの。

川に潜む何かは、ただ人を引き込むだけではない。
名前を覚える。
声を真似る。
返事を待つ。

昔の村では、そういうものとして恐れられていたのかもしれない。

帳面の後ろの方には、村の禁忌が書かれていた。

夕方以降、川辺で名前を呼ばれても返事をしないこと。
川面に知った顔が映っても近づかないこと。
流れてきたきゅうりを拾わないこと。
川で亡くなった者の名前を、水辺で呼ばないこと。
一人で橋の下をのぞかないこと。

最後の一文だけ、墨が濃かった。

返事をした者は、川に覚えられる。

その言葉を読んだ瞬間、子どもの頃の記憶がよみがえった。

私は一度、あの川で遊んだことがある。

祖父に強く止められていたのに、近所に住んでいた圭太という男の子と、こっそり川へ下りた。

夏の夕方だった。
川面は夕焼けを映して、赤く光っていた。

圭太は、私より少し足が速かった。
その日も先に川岸まで走っていき、水辺からこちらを振り返った。

「こっち来いよ」

そう言って、手招きをした。

私は川の方へ近づいた。

そのとき、後ろから祖父の怒鳴り声が聞こえた。

「返事をするな!」

驚いて振り返ると、祖父が土手の上から走ってきていた。

そのあと、私は強く叱られた。

ただ、妙なのは。

その日の数日前、圭太はすでに川で亡くなっていた。

それを知ったのは、もっと後のことだったはずだ。
けれど、その記憶は長い間ぼやけていた。

忘れていたというより、思い出そうとすると、その日のことだけが水の底へ沈んでいくようだった。

帳面を閉じた頃には、外が暗くなっていた。

祖父の家は、もう誰も住んでいない。
電気をつけても、部屋の隅までは明るくならなかった。

帰ろうと思い、玄関へ向かったときだった。

スマホが震えた。

祖父の家は山あいにあり、携帯の電波はほとんど入らない。
それなのに、画面には知らない番号が表示されていた。

出るべきではない。

そう思った。

けれど、指が勝手に動いた。

耳に当てると、しばらく無音が続いた。
その奥で、水の流れる音がしている。

そして、子どもの声が聞こえた。

「ねえ」

私は息を止めた。

「まだ、遊べる?」

圭太の声だった。

頭の中で、祖父の言葉が鳴った。

名前を呼ばれても、返事をするな。

私は何も言わずに電話を切り、すぐに電源も落とした。

しばらく玄関に立ち尽くしていた。
外では、川の音だけが聞こえている。

祖父の家から川までは、少し距離がある。
普段なら、こんなにはっきり聞こえるはずがなかった。

その夜、私は祖父の家に泊まることにした。

帰るには、川沿いの細い道をしばらく走らなければならない。
今、その道を通ったら、ハンドルを川の方へ切ってしまいそうな気がした。

畳の部屋に布団を敷き、灯りをつけたまま横になった。

眠れなかった。

何度も、耳の奥で声がした。

「ねえ」

「こっち来いよ」

「まだ、遊べる?」

そのたびに、私は布団の中で息を殺した。

返事をしてはいけない。
声に反応してはいけない。

そう思っていた。

夜中の二時を過ぎた頃。

玄関の方から、ぺたり、という音がした。

水を含んだ足で、床を踏むような音だった。

ぺたり。

ぺたり。

ぺたり。

音は、ゆっくり廊下を進んでくる。

鍵は閉めた。
玄関も窓も確認した。
誰かが入ってこられるはずがない。

足音は、部屋の前で止まった。

障子の向こうに、小さな影が映っていた。

子どもくらいの背丈だった。
頭の形が、少しおかしい。

丸い。
浅い皿を乗せたように、平たい。

障子の向こうから、声がした。

「いるんでしょ」

私は答えなかった。

影は、しばらく動かなかった。

やがて、障子の隙間から、水が一筋、部屋の中へ流れ込んできた。

畳の上を、細く、黒く、こちらへ伸びてくる。

その水の中に、小さなきゅうりが一本、転がっていた。

見てはいけないと思った。

それでも、目をそらせなかった。

障子の向こうで、何かが笑った。

「拾わないの?」

圭太の声だった。

でも、笑い方だけが違った。

朝になって、私はようやく部屋を出た。

廊下には、濡れた足跡が残っていた。

小さな子どもの足跡だった。
けれど、よく見ると、足の指の間に膜のような跡がある。

足跡は玄関から入ってきたものではなかった。

仏間の奥から始まり、廊下を通り、玄関へ向かっていた。

つまり、それは外から来たのではない。

家の中から出ていった足跡だった。

玄関を開けると、外の土にも同じ足跡が続いていた。
足跡は、まっすぐ川の方へ向かっている。

私は追わなかった。

ただ、玄関先に立ったまま、川の音を聞いていた。

そのとき、背後の部屋で何かが落ちる音がした。

戻ると、昨日の帳面が開いていた。

開かれていたのは、最後のページだった。

そこには、祖父の字で短く書かれていた。

平成七年 八月十三日
圭太、川に取られる。
孫、呼ばれるも返事なし。
以後、名を呼ばれても応じぬよう申し聞かせる。

その下に、もう一行あった。

墨の色が、他の文字より新しかった。

ただし、水のものは長く待つ。

私は、そこで初めて気づいた。

昨夜の電話で、私は一言も返事をしていない。

でも、子どもの頃。
川辺で圭太に呼ばれたとき。

私は、確かに言ったのだ。

「今行く」

あれから、三十年近く経っている。

それなのに、川はまだ待っていた。

その日の夕方、私は祖父の家を出た。

川の方は見ないようにした。

車に乗り込み、エンジンをかける。

そのとき、助手席に置いたスマホが勝手に点灯した。

電源は切っていたはずだった。

画面には、知らない番号からの着信。

私は出なかった。

着信は止まった。

すると、今度は録音メッセージが残った。

聞くつもりはなかった。

けれど、再生ボタンに指が触れた。

ざあざあ、と水の音が流れた。

その奥で、圭太の声がした。

「返事、したよね」

その直後。

車の窓の外から、同じ声が聞こえた。

「もう、覚えたから」

私は、ゆっくり窓の外を見た。

川は見えない場所だった。

それなのに、窓ガラスの向こう側に、濡れた子どもの顔が映っていた。

顔は笑っていた。

ただ、目だけが、人間のものではなかった。

そして、その頭の上には。

こぼれないほど静かに、水をたたえた皿があった。

 

怪異の記録

怪異名:河童

話名:川底から呼ぶ友だち

舞台:山あいの村、祖父の家、細い川

登場するもの:水難記録、亡くなった友人の声、濡れた足跡、きゅうり、頭の皿

読了時間:約3分

 

河童とは

河童とは

河童は、日本各地の川や池などの水辺に伝わる妖怪です。地域によって呼び名や姿には違いがありますが、子どものような姿、頭の皿、手足の水かき、背中の甲羅などを持つものとして語られることがあります。

伝承では、人や馬を水の中へ引き込む、水辺で相撲を取ろうとする、きゅうりを好むといった特徴が知られています。一方で、助けられた礼に魚や薬の知識を授けるなど、人間と関わる存在として語られる例もあります。

河童は、単なる水辺の妖怪としてだけでなく、水神信仰や水難への畏れと結びついて語られることもあります。今回の怪談では、そうした水辺への恐れをもとに、「名前を呼び、返事を待つもの」として描いています。

 

この話の怖さ

この話の怖さは、姿を見せる前から、声だけで近づいてくるところにあります。川から聞こえるのは、見知らぬ怪物の声ではありません。かつて一緒に遊んだ友だちの声です。

懐かしい声に返事をしただけで、川に覚えられる。ほんの一言が、長い年月を越えて戻ってくる。その逃げ場のなさが、この怪談の静かな不気味さになっています。

 

この話が残すもの

水辺には、古くから多くの禁忌がありました。近づいてはいけない時間、呼んではいけない名前、拾ってはいけないもの。そうした言い伝えの奥には、水難への恐れや、自然の力に対する慎みが残されています。

この話の川は、ただ人を引き込む場所ではありません。声を覚え、名前を覚え、返事を待ち続ける場所です。子どもの頃に交わした一言が、三十年後の夕方に戻ってくる。その余韻だけが、窓の外に残ります。

 

よくある質問

河童について教えて?

河童は、日本各地の川や池などに伝わる水辺の妖怪です。子どものような姿、頭の皿、手足の水かき、甲羅などの特徴を持つものとして語られることがあります。

河童は危険ですか?

伝承では、人や馬を水中へ引き込む存在として語られることがあります。一方で、人間に礼をする話や、相撲を好む話もあり、地域や話によって性格はさまざまです。

河童はどこに現れますか?

河童は、川、池、沼、用水路など、水辺に現れる妖怪として語られることが多い存在です。今回の怪談では、山あいの村を流れる細い川に関わる怪異として描いています。

河童にはどんな特徴がありますか?

代表的な特徴として、頭の皿、水かき、甲羅、子どものような姿、きゅうりを好むこと、相撲を取ろうとすることなどが知られています。今回の話では、友人の声を真似て返事を待つという創作上の怪異性を加えています。

 

関連する怪異

  • 濡女|水辺に立つ女
  • 小豆洗い|川音にまじる声
  • 船幽霊|水面から呼ぶもの

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